フリーター女子(23)生存記録

クソフリーターの日常記録です。ライブ三昧の日々。

私的・麻雀放浪記

 

長期間帰省していた地元から、東京に戻ってきたときに感じたこと。

 

実家が恋しいな、東京はやはり楽しいな。

そんなことは脳裏には浮かばない。

 

麻雀が打ちたい、それだけである。

 

ここ一年、点数計算は出来ないがスマホ麻雀にものすごく熱を上げており、念願の現物牌による手積み麻雀を楽しみに帰省。

実家にいる間は「嶋田家麻雀部」と称して一日二局をノルマに活動していたためである。

 

スマホ麻雀と大きく違う点。やはり、実際に牌を自分でツモってくるという感覚。

これが相当に気持ちのいいものであり、スマホの小さい画面では到底感じることのできない、何とも言えない興奮と高揚感をもたらしてくれる。これに中毒になってしまっていた。

ガリ牌を自分でツモって来た時の、脳が痺れるような衝撃。役満をテンパイした時の、受験の合格発表を待っている時のような緊張感。

今まで熱中していたスマホ麻雀とは訳が違う、全く別物の何かに思えた。

人生一度は、狂ったように麻雀が打ちたい時期が訪れるというが、私はまさにその真っ最中であり、完全なる中毒者。

熱が全く引いていない、そんな中での嫌々の帰京。東京に麻雀を打てる仲のいい友達など居らず、悶々とした日々を送っていた。

 

とにかく牌を触りたい。スマホ麻雀では埋まらない、この焦燥感。

気がつけば、都内の雀荘に、一人で訪れる自分がいた。

 

 

雀荘

中央線沿線、ビル3階。

街中を歩いていると、まるで普通のゲーセンです♪と言わんばかりによく雀荘の看板が目に入るが、自分が実際にその場所へと足を踏み入れるのには、相当な勇気が必要であった。

どんな形態なのか全く分からない、未知の世界。看板には「初心者大歓迎!女性も安心!」などと謳われているが、やはり自分の中のイメージは、薄暗い中、オッサン達が金を賭けしかめっ面で麻雀を打っている、泥臭いギャンブル。看板に描かれているリー棒を持った可愛らしいキャラクターとは対照的な、そんなイメージである。

 

意を決し、雀荘が入っているビルのエレベーターに乗り、店のドアの前に佇む。中からは、懐かしい麻雀牌の音がする。

自動雀卓の「リーチ!」と言う機械音が少し怖い。

 

意を決し、息を止め、重たい扉を開いた。

待ち構えていたのは、想像していた通りの世界。何十人も居るオッサン達が、私を見た。

 

 

 

入店するとまず、若いスタッフにお店のルールを説明される。

いわゆるレートについてなのだが、点5です、ご祝儀がいくらです、などベラベラ言われても、こちらからすると「他国の言語」くらいには意味のわからない説明であり、現実味がない。しかしこちらとしても、全く意味のわからないままでもカッコはつけたいので「なるほど」「ふむふむ」といった相槌を打っていく。

何一つ理解していない中、しかしなんとなく大事なお金のことを説明している気はする。何か重大なことを聞き逃しているかもしれない、とんでもないレートで今から打つのかもしれない、所持金いくらだったか、などと考えていると、目の前のスタッフの笑顔すらも怖くなってきて、率直にここから逃げ出したいと思った。

 

 

しかし店に入ってしまった手前、もう逃げ出すことなどできない。やっぱり怖いので帰ります!など、どう考えても自分のプライドが許さない。

頭の中は真っ白なのにも関わらず、あ、こんな感じなんですね~雀荘って~といった余裕のある人間の演技を頭フル回転で展開し、何も考えられないのに威勢を張っているこの状況にだんだんと現実味が無くなっていき、最終的には幻覚を見ているような感覚にまで陥っていた。

目の前の牌も、何かチョコレートのような、夢の中の物のように感じており、オッサンたちも何かの絵画のように見える。

自分の手がチキンに見えてきて、今考えてもよくその状況で麻雀を打とうとしていたなと思う。

 

可愛い女のスタッフに「ご新規さんこちらの卓入られます~♪」と促され、挙動不審でありながらも未だ虚勢を張っている私(あ、よろしくで~すと卓に座ったが、目も合わせられず、手は震えている)、さながら地獄である。

 

家族麻雀以外打ったことがない私にとって、見も知らぬ人間と麻雀を打つというのは、相当に恐怖を感じるものであった。

どういう恐怖かというと、まず大前提に私は点数計算ができないど素人であり、それでいてプライドだけはべらぼうに高い人間であるため、点数計算できない人間が舐められないわけがないのに、なんとかしてこいつらに舐められないようにしなければ!という、もはや麻雀は関係のないところでの、ある意味自分の存続にかけた、初めて体験する恐怖であった。

なんとかして、「若くありながらも麻雀がめちゃめちゃ強い人間、つまりアカギ」になるべく、頭を最大限に使ってみるものの、今頑張ったところでどうやっても点数計算は覚えられないので意味のない努力である。

自動雀卓も初めてであるのに、なぜ「すみません、私ど初心者なので一から教えてください」と言えなかったのだろう。

目の前の山を少し前に押すことも、ドラ表示の仕方も、嶺上牌を一つ降ろすことも、何一つ知らなかったが、周りの人間の行動を盗み見、あたかも元々知ってま~す♪と演技できたのは自分でも涙ぐましい努力であったなと思う。

しかしこのイキリも、周りの人からすると速攻で看破できるレベルであったらしく、優しいスタッフの方が「私後ろについてますね~♪」と見守ってくれることになった。

 

 

東一局。

まず誰が親なのか、私の風が何なのかわからないままでのスタートである。我ながらひどすぎる。

とにかくチョンボだけはしたくない。なぜなら初心者なのがバレるから。(初心者だとバレていない!と思っているのは私だけであって、他の全員は私が何もできないのを知っている。)

家族麻雀と違う、この緊張感、スピード感。

とにかく自分の牌を並び替えよう!と思っても、脳はまだ現実を取り戻していないため、指がうまく動かない。

理牌しようにも、萬子も索子も筒子も何もかもが一緒に見えてしまい、並び替える以前の問題である。

もたもたしている間に自分のツモ番が回ってきており、残りの3人が私のツモを待っているこの状況だけでまたさらに焦り、色々と限界の私は「どこから何をツモればいいですか?」とスタッフに聞いている始末。最悪である。

何とか理牌し、ツモり、捨てる。あ、ドラ表示を見るのを忘れていた、と確認すると、一打で捨てた牌がドラ側であり、より最悪になる。

とにかく回ってくるのが早い、鳴こうにもすぐ捨てられてしまうので見逃してしまう。

奇跡的にも振り込まず、局を終えたが、すぐさま二局目が始まる。追いつくのに必死であり、このスピード感に慣れることができない。

 

東二局。

理牌する際に、分かりやすいようにメンツを三つずつ区切って置いていたら、後ろのスタッフに「待ちがバレちゃうかもしれないので、なるべく牌はくっつけた方がいいですよ~♪」と言われ、少しイラつく。くっつけてしまったら、自分が何待ちしているか分からないだろうが。と思ったが、言わない。

まだイーシャンテンなのに、パニックゆえの勘違いでリーチをかけようとしたら、後ろのスタッフに「まだですう!」と教えてもらう。少し好きになる。

 

自分の手を伸ばすことにしか意識が向かないため、他3人の進み具合など、眼中にない。というより、危険牌、スジ、などのディフェンス面での麻雀を全く理解していないため、リーチをかけられたら現物を落とすか、何も考えず突っ張っていくことしか出来ない。

側から見たら、なんていうどツッパリ、と思われるほどには危険牌をガンガン切っており、きっとここでもど初心者魂見せつけていたに違いない。

 

「ロン!」

 

トイ面からの発声。

やはりこのような麻雀を打っていれば、振り込んでしまうのは明らかで、私は生まれて初めて見知らぬおっさんに点棒を渡すことになる。

 

「リーチ、タンヤオ、ドラ2。8000です。」

 

うむ。しょうがない。何色の棒が何点なのか分からないため、後ろのスタッフに教えてもらいながら点棒を渡す。

 

「あ、赤が一枚なので100円もですね!」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?

100円?

対局中は点棒のやり取りだけではないのか?

パニックになりながらも、焦りを出してしまうと舐められてしまうので(何度も言うが既に舐められているのは明らか)、何事もなかったかのように100円を渡す。

 

・・・・・・・・・。

 

きっと、入店した際のレートの話に出てきた「ご祝儀」と言う奴だろう、と言うのは分かっていたが、対局中にもお金のやり取りが発生することに関してものすごく動揺してしまい、隙を見ては財布の中身を確認するのを繰り返した。

所持金は1万弱。一応雀荘に来る前に、一体いくら持っていけば遊べるのか?をネットで調べてきたため、ラスを取っても金が0になることはないと思う。が、局中にある小銭のやり取りが毎局毎局起こるとなると、雀荘初心者の私は、この財布の金でさえ心許無く思えた。

 

この財布の中にある金は、人生経験に必要だった「雀荘に行くためのお金」でしかない。はなから増やそうなど思っていない、ただのゲーム代なのだ。無理矢理そう思うことで、よく分からない仕組みの中で金が消えていく恐怖を打ち消そうとしていた。

 

無心で金を払っていく。

 

 

結果、南入りしたところで私が飛び、そこでゲーム終了となった。

清算

あまり覚えていないが、3~4000円ほど払ったように思う。小銭も合わせると、一体この一局でいくらの金が消えたのか分からない。

所持金は半分ほどに減った。

ここで帰ることも勿論できたが、あと一回遊べるだけの金は残っている。

ご祝儀等合わせても、きっと足りる。足りなくなったら、少し怖いけれどコンビニまで走ってお金をおろそう。こちらは初心者なのだから、みんな待っていてくれるはずだ。

 

 

 

サイコロを振り、私のタチ親で、麻雀は再開する。

 

親である以上、とにかく連チャンしなければならない。

阿佐田哲也も言っていたが、必ず運やツキというものは存在していて、それをいかにうまく操るか、それがギャンブルだと。

1回目に大負けしたからだろうか、今回は完全に流れが来ていた。配牌もいい、ツモもいい。

先ほどは全然来なかった、憎っくき赤ドラさえも入ってくる。

 

「ロンです!」

 

対戦相手のオッサン達はまだ少し怖いので、ロンするときには「ロンです!」と言ってしまう。それがまた相手をイラつかせるのか、段々と空気が変わってくる。

連チャン。

ロンです!ツモです!

興奮していて、ひどいときには「あっ!それです!それロンです!」などと言ってしまい、本当に良くない。

私がオッサンなら、それはもう当然にイラつくだろう。

しかし、誰も私を止めることはできないのだ。

 

また、初心者、というのも悪くはない要素であって、基本的に皆リャンメン待ちでテンパイをとる、リーチをかけることが通常であると思うが、こちらからすると勿論平和にもっていくのは目標として目指すにしても、訳のわからない待ち方で待つことが多くなるのが初心者だ。

麻雀とは確率のゲームである以上、待ちの数が多いところでリーチをかけていかないとツモもロンもできないのが大前提。

例えば単騎待ちをするときに、既に場に2枚切れている牌、つまり残り一枚の牌を待つなんていうことは常識的に考えて確率の悪すぎる待ちであり、基本的にそんな待ちを取る人は居ないと思われる。

しかしこちらは初心者魂を持っている人間。たとえ、とんでもなく悪い待ちであろうが、そこでテンパイになってしまうと、とにかくリーチをかけたくなるのが性である。

とにかくとにかくリー棒を出したい。捨て牌を横にしてみたい。

それが私である。

 

「リーチです!」

 

するとどうだ、他のオッサン達は、意味のわからない待ちをしている私の危険牌などわかるはずもなく、何と振り込んでくるのである。

スジだから通るだろう、など私には関係ない。

 

「ロンです!」

 

牌を倒すと、残りの3人がお前どんな待ち方してんだ、と言わんばかりの目線をくれる。

ツモにも然り、残り1枚のドラを単騎待ちしており、誰かが振り込むわけがないこの待ち方、強引にでもツモってきてしまうのである。

ビギナーズラックというものはこの世に存在する。

 

大好きな阿佐田哲也とアカギの力を、背中に感じるのだった。

 

 

 

 

何と、私のトップで局が終わった。

点数表示のパネルが神々しい。

点棒入れにも、ご祝儀でもらった小銭がたんまりと入っており、とにかく気分が良い。

1回目の負け分、4000円ほども回収でき、私の財布は雀荘に入ってきた時と同じくらいの安心感を持っていた。

 

一度消えたはずのお金が、また自分の手元に帰ってくるという、なんとも言えない嬉しさ。

動いたお金はごくわずかであるものの、人生初の雀荘でのギャンブルを何とかやりきったという達成感。

そして何より、楽しかった。

レートが低い麻雀ではあるものの、やはり金がかかると、麻雀の本質も変わってくるように感じた。配牌時に赤が入った時の興奮。満貫手、ハネマン手、裏ドラが乗った時の爆発的な嬉しさ。全てが金に直結するという、今までの家族麻雀、スマホ麻雀とは全く違うのめり込み度。

 

これはハマってしまうのも無理はない、と点数計算もできないど初心者は、そう思うのだった。

金が戻ってきた安心感からか、入店した時から体から離れることのなかった緊張感がやっと、するりと居なくなるのを感じ、「今日はここまでにします」と卓を離れた。

 

 

ビルの階段を降りている時、幻覚を見ているかのように思えたほどの緊張と恐怖を一瞬思い出し、そしてやりきった自分を嬉しく思った。

しかし、現実味が戻ってくるとともに、いつもの風景に心の底から安心してしまい、先ほどまで居たビルを見上げてため息をつく。

人生初、ギャンブル。自分お疲れ様会と称してクレープを食べに行くことにした。

 

 

本日の清算

クレープ代の数百円マイナスにて、終了!

 

 

 

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